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芸術とエロの境界線。これは歴史的に見ても、常に議論され続けている、言わ
ば、永遠のテーマだ。この「芸術とエロの境界線」に関しては、今まで多くの人
々が、その限界に挑戦し、逮捕者が出たことさえある。


美術館やギャラリー等で中世西洋絵画の裸婦像
をまじまじと閲覧していると、それが「芸術」だとわ
かっているのに、なぜか。たまらなく気恥ずかしく
なって、一刻も早くその場を立ち去ってしまいたい
と思うことがある。これを読んでいる読者の中にも
そういった気持ちになったことがある人もいるので
はないだろうか。
この感情って一体なんだろう、と少しばかり考えて みると、ある意外なことに気がつく。中世西洋絵画 の裸婦像に多く見られる陰部や乳房をさりげなく隠 すポーズは、よく考えてみたら、現代のグラビアの それにそっくりなのだ。残念ながら、ここでは現代の グラビア画像をお見せすることはできないので、お 手持ちのグラビア画像と見比べて確認してほしい。 確かにそっくりだと理解していただけると思う。
と言うことは、である。 と言うことは、ここであるひとつの仮説を立てること ができる。それは中世西洋絵画の裸婦像は、現代 で言う「グラビア」的な役割を果たしていたのではな いかという仮説である。
今でこそ、「芸術」ともてはやされているが、当時は 単なる「性衝動のはけ口」であるに過ぎなかったの ではないか?中世の人間だろうと現代の人間だろう と、基本的には同じ「人間」。それが「絵画」であろう と、裸婦像を前にして、性的興奮を覚えない男性は おそらく、ひとりもいないだろう。
さて、中世の時代には「絵画」以外に性的興奮を
助長させるメディアがなかった。その後、急速に
技術革新が進み、今や映像・写真の時代になり
つつある。
しかし、そんな時代にあって、未だに「絵」にしか 性的興奮を見出せない男たちがいる。俗に言う 二次元フェチだ。彼らはリアルな実写(三次元)に は見向きもせず、もっぱら「絵(二次元)」を性衝動 のはけ口としている。
そんな「絵」にしか性的興奮を覚えない彼らの性 志向は中世の人々の性志向と奇妙にも一致す る。彼らは言わば、中世の人々の生き残りなのだ。













